護王神社



京都御所へ訪れた帰り、

蛤御門からなんとなく出たときに

ふと、神社があることに気がつきました。



鳥居にイノシシが描かれた垂れ幕が飾っています。

そういえば今年は亥年

参拝ついでにお参りをすることにしました。



鳥居をくぐると

黒い石球に様々な漢字が彫られたものが

置かれています。

意味がわかりませんが、なんとなく縁起がよさげなので触ると

コロコロと回ります。

多分、転がして一周回せば功徳が無くなるのかな。



狛犬ならぬ、狛イノシシがお出迎え。

様々な神社を回りましたが、

猿や鹿、蛇など動物を神の遣いとして祀っています。

猪は珍しい。

ちなみに一般的に狛犬と言われているのは実は

駒獅子。

狛犬はおでこに角があります。


ここは、護王神社(ごおうじんじゃ)という神社らしい。

足腰と子供の守護神らしい。



手洗いもイノシシ。

徹底しています。





敷地もそこそこ広く

本殿も立派。

ご祭神は、平安京造営にも貢献した和気清麻呂(わけのきよまろ)という方。

旅の途中に痛めた足が猪の加護によって回復したという逸話から、

足腰の健康や怪我の回復にご利益があると信仰を集めています。




また、もうひとりのご祭神が、清麻呂のお姉さんである和気広虫(ひろむし)。

戦乱で身寄りを失った子どもたちを養子に迎え育てたことから、「子供の守護神」として仰がれています。

今年の健康を祈願して、

敷地内を散策します。




周りを見るといるわ、いるわイノシシの置物や彫り物がいっぱい。

なんと約4000頭のイノシシ。

ふと見ると

檻が並んでいます。

なんと数頭の本物のイノシシがいます。




白いイノシシまでいます。

実は1月の数日「イノシシふれあいコーナー」が開催されていて

白いイノシシは

静岡県伊豆市にある斎藤ファームで飼われているカリンちゃん。

「へー、白いイノシシなんて初めて見た」

と感心していると

おもむろに男性が現れ、

檻から普通のイノシシを出して首輪にリードをつけて連れ出しました。






ん?

リードを外しました。

男性は少し離れたところまで移動します。

イノシシが暴れ出したら大変!?

と思ったら男性のところへ




トコトコと歩き始めます。

なんとも愛らしい姿。

そして・・・・





「お手っ」

イノシシが犬のようにお手をしています。

案外、頭の良い動物のようです。


思わぬ寄り道で素敵なショーが観れたのでラッキーでした。

大将軍八神社


「大将軍八神社」という変わった名前の神社があります。

場所は京都上京区で受験祈願と梅が有名な北野天満宮が近所。

妖怪やモノノケが関わる不思議なパワースポットと知って行ってみることにしました。

スマホのgoolemapで検索しながら場所を探します。

これがまた分かりにくい。

商店街の入り組んだ小さい神社らしくやっとの思いで到着しました。



入り口に面する狭い道路に

妖怪ストリートというのぼりが並びます。

この道、一条通といって中立売通まで400mにわたって並ぶ商店街の道。

毎年秋に大将軍商店街で行われる妖怪仮装行列「一条百鬼夜行」という年に一度の妖怪大イベントが行われます。

一条百鬼夜行と同時開催の妖怪アートフリマ「モノノケ市」も開かれます。



さて、大将軍八神社の門に立つ。

門には大きな提灯に大将軍の文字。

よくある小さな神社ぐらいの広さです。



大将軍八神社と書いて、たいしょうぐんはちじんじゃと読みます。

最近ではパワースポットとして人気らしい。

“大将軍”とは、陰陽道の星神・方位の神様のことを言うらしく

古くから“大将軍”がいる方位を侵すと

災いや厳しいとがめを受けるというので大変恐れられていました。



本殿前に駒獅子と並んで中央に五芒星と八角を表した石柱があります。

一見普通の神社ですが

この石柱があるだけでとても神秘的に感じます。

天皇家や貴族たちは建築や転居、旅立ちなど何かを行う前には

必ず陰陽師に頼み、

その方角が大将軍にあたらないか慎重になっていました。

794年の平安遷都の際、桓武天皇

大内裏(御所)から陰陽道

天門にあたる北西角に大将軍のお堂を建てることで、

方位による災いを解除されました。



なんとなくすごい場所にいる気分で

手を合わせ祈願しました。

大将軍八神社では、方除けのお守りのひとつ「北斗七星のお守り」が人気があります。

これがあれば1年間どの方角に向かってもOKらしい。

北斗七星が描かれ

干支により異なる場所の星がひとつだけ赤く縫い取られています。



本殿の裏に回るとなぜか船の錨が置かれています。

神社に錨とはなんとも奇妙な取り合わせでした。

何故なのか?

ネット上情報によると

『宝物庫にある、宝船の絵(明暦年間)には、碇が描かれてあり、

普通は錨を描くことは無く、非常に珍しい絵である。』

って、云うようなことが判明しました。

氏子さんがそれに因んで、神社に錨を寄贈されたのだそうです。




ぐるりとまわると

凛々しい大将軍像と「方徳殿」があります。

訪れた日は残念ながら見ることができませんでしたが

1階には、木造の大将軍神像がずらりと80体収められ、

その視線は部屋の中央へ集まるような配置になっており

密教陰陽道の宇宙観をあらわす「星曼荼羅」の世界をあらわしています。


ガイドブックにあまり載っていませんが

なかなかのパワースポットパワースポットでした。

太陽の塔


2025年に再び大阪で万国博覧会が開かれるようになりました。

前回は1970年。

1964年の東京オリンピックの後の明るい話題で大変盛り上がりました。

今回も2020年の東京オリンピックの後の開催です。


そんなこともあってか

1970年の大阪万博も注目されています。

その象徴とも言える「太陽の塔」。

岡本太郎先生の最高傑作と言っても過言ではないでしょう。



当時は太陽の塔の内部も観覧できました。

閉会後、内部の観覧は中止されていましたが

今年の春までに行われた改修工事の後

予約者のみの観覧が可能となりました。

微生物から恐竜、人類までの進化の過程が表現されています。



クリスマス期間には

太陽の塔にプロモーショナルマッピングの投影が行われていました。

音楽に合わせて

様々な映像が映し出されていて

まるで生きているような感じです。


隣接するエキスポシティの観覧車も

夜景に美しく色を変え

ロマンチック。



松井知事が太陽の塔世界文化遺産に登録する活動をしたいと

おっしゃっていました。

大賛成!

未来永劫、大阪の観音様でいてほしいものです。



草津宿


草津」と言えば

草津温泉」と応える方が多いはず。

今回の草津は温泉にあらず、

昔の宿場町にあたります。

場所も琵琶湖のある滋賀県



草津宿があるこの場所は

今でいうターミナル駅のようなところだったらしい。

江戸時代、江戸から京都までの道は

海側を通る「東海道

山側を通る「中山道」があります。

これらの道が交差するのが草津



京都が首都であった頃から琵琶湖周辺は

天下取りの重要なポイントでした。

江戸に首都が移ってからも

西にある各藩が参勤交代で通る道でもありました。

草津は参勤交代で各藩のお殿様が泊まる場所があり

現在も草津宿の本陣として残されています。




JR草津駅から徒歩10分くらいに

本陣があります。

今は普通の道路ですが東海道中山道の交差する場所もあります。

宿場町だったので古い屋敷や店が残されていて風情があります。


草津宿本陣に到着。

田中七左衞門本陣(草津宿本陣)は国の史跡。

2軒あった本陣のうちのひとつで、現存する本陣としては最大級らしい。

弘化三(1846)年の旧姿に復原され、平成8年(1996年)から一般公開されています。

「大福帳」には、浅野内匠頭吉良上野介土方歳三など歴史上重要な人物の名前も多く残っています。




外観は昔の庄屋のよう。

玄関は古い趣はあるもののいたって質素な感じです。

赤い絨毯が敷かれた長い廊下。

両側に各部屋があります。



廊下の突き当たりに大広間と

お殿様の部屋があります。

時代劇によく見かける少し段があって

2畳ほどの畳に座布団のある一角。

そう、お殿様がよく座っているあの部屋も本当にあるのです。



家来衆の部屋があり、

昔のトイレ、厠もある。

男用の立ち小便の便器は木製です。

面白い。



中庭には箱庭のような空間や

生け花が品よく飾られています。



カマドのある台所もちゃんとある。

参勤交代は外様大名を団体で旅させることで

財力を使わせて余計な権力をそぐ役目がありました。

当時の大名が食べていたという食事も再現され

模型で展示しています。

とても贅沢な食事だったらしい。

現在からすると定食レベルの食事。

いかに現代が恵まれているのかがわかります。



草津周辺には他にも本陣や旅籠が残っています。

江戸の旅気分を味わうには良い場所です。


八大神社


紅葉狩りの季節も終わりを告げ冬へと模様替え。

紅葉の風景が美しい京都も落ち着いてきたようです。

ただでさえ観光客が多い所なのに大変な混雑となります。

京都の紅葉狩りで人気スポットは数々あります。

京都市内から北東部にある「詩仙堂」もその一つ。

このあたりは思ったより人が多くないので

ブラブラと歩くのがオススメです。


詩仙堂に到着し、横目で隣に神社があることを発見。

参拝することにしました。

八大神社」。

宮本武蔵の看板があり、驚きました。

一乗寺、下り松の決闘の古木が当社にあり」



なんだか興味が湧いてきました。

木々に囲まれた小道を進んでいきます。

隣の詩仙堂の紅葉も木々の合間から覗かせています。



落ち着いたいい感じの道。

お年寄り達が休憩所で将棋を楽しんでらっしゃる。

そこに映画のポスターが。

名優 萬屋錦之介さん演じる「一本松の決斗 宮本武蔵」という

映画のポスターです。



江戸時代初頭、

一乗寺下り松で吉岡一門数十人と決闘を行った宮本武蔵が、

決闘を前に八大神社で神頼みをすることを思い立ったが、

神仏に頼ろうとした自分の弱さに気づき

寸前にやめたという逸話も残っているという。



手洗い場には龍。

なんとなく雰囲気が出てきます。

季節柄菊の花も美しく、黄色が神々しい。

三種の神器が祀られている祭壇に2本の劔。



武蔵の二刀流にあやかってのものなのか?

本殿が見えます。



ちょうどいい広さの本殿周り。

しっかりと手を合わせます。

ちょうど、外国人観光客も同じように手を合わせています。

武蔵の「五輪書」は海外でも読まれ、

武士の姿勢を知るバイブルとなっていると聞きます。

武蔵の伝説がこんな所にあったなんて意外で驚きました。


慈光院


世界的な日本ブーム。

クールジャパンと銘打って名所や食べ物、サブカルチャーなど

日本の魅力が世界に広がっています。

最近は日本庭園が人気で

有名な庭園を訪れる観光客が多いそうです。

日本庭園は自然の風景を

小さな空間に凝縮した世界。


そんな日本庭園ですが

箱庭的魅力の日本庭園ですが

もっとダイナミックなところがあるという情報を得て

行ってみることにしました。


その名も「慈光院」。

奈良県大和郡山にあります。

近鉄大和小泉」駅でて大和川沿いをゆっくりと歩いて行きます。

奈良といえば大仏や鹿が有名で

都市の中心部の観光地にスポットが向きがちですが

実は郊外にたくさんの魅力的な場所があるのです。

大和郡山は城下町で

金魚の養殖が盛んなこともあり、

金魚すくい日本一を決めるイベントが毎年開催されます。



大和川周辺は高い建物がなく

空が高いので心地いい。

奈良県の郊外の魅力でもあります。



目印の池を発見するものの入り口がわからない。

紅葉が眩しい季節の中

周辺を歩いてみると「慈光院」という看板を発見。



進んでいくとどんどんと木々に囲まれ

味のある小道をいつのまにか歩いています。

計算された感じがします。




建屋に到着です。

慈光院は寛文3年(1663年)に石州流茶道の祖・片桐石見守貞昌という人が

創建しました。

建屋である書院は重要文化財に指定されています。


靴を脱いで中へ。

特別な装飾もなく実にシンプル。

奥に行くと広い空間が出迎えてくれます。




広い畳部屋には仕切りがなく、

180度のパノラマが広がります。

しばし腰掛けて美しく手入れをされた日本庭園を鑑賞します。

晩秋の温かい光が差し込みます。

茶道のお寺。

そうするうちにお茶と和菓子が運ばれてきます。



庭を眺めながらお茶で一服するのは格別です。

こんな隠れ家のような場所があったなんて驚き。

そのまま庭に散策に出ます。

手入れの行き届いた木々。

静かな空間を楽しみます。



少し高台があり上がってみると

建屋全体を見ることができます。

現代からタイムスリップしたかのよう。



と、この辺りまでは

他の寺院でもある日本庭園ですが

ここからが慈光院らしさ。

庭から広がる大和郡山の景色が素晴らしい。

敷地にある庭をすべてとするのではなく

周りに広がる景色も庭であるとするのが慈光院の考え方。



景色も庭か・・

そう考えるとダイナミックで素晴らしい。


庭を楽しんで建屋に戻ると別の建屋では住職が

案内している様子が見えます。



そちらの方に向かうと

中庭があります。

額のような窓からは中庭が見えます。

別の建屋の天井には

立派な龍の絵。



落ち着き心癒された後は

空腹がやってきます。

実は食堂があり、お蕎麦が名物。

早速、お蕎麦を注文しました。

温かいお蕎麦の他に

精進料理が付きます。

自家栽培のかぼちゃやお豆の天ぷらと

肉に見立てたゆばなど

なかなかのボリュームです。



自分の足で見つけた名所は宝です。

慈光院」もそのひとつとなりました。