明治村 vol.1


カメラを片手に東海・関西を中心に旅歩きをはじめて15年。

自分の足で歩いて感じた素敵なスポットを紹介するアーカイブ企画第一弾。

愛知県の「明治村

明治村」は明治時代の建物等を移築・復元し、

当時の歴史や文化を今日に伝えようとする野外博物館。

昭和40年に開村されました。


名鉄名古屋駅から犬山駅へ。

バスに乗り換えてむかいます。


明治村は山上の入鹿池周辺にあります。

犬山駅を出発したバスは

山道をくねくね上がって行きます。





レンガの柱にレトロな装飾の鉄柵門が入り口。

第八高等学校という明治に創られた学校の正門だったものです。


早速、村内に入ります。


明治村は1〜5丁目とエリアにわかれています。

レトロ風のバスや

実際に使われたチンチン電車蒸気機関車

移動することができます。


北側に向かって2丁目のエリアに向かいます。






一番最初の建物は重要文化財である「三重県庁舎」。

壁や洋式の柱は白、屋根が和風の瓦屋根となっています。

上から見るとEの形の広いお屋敷。


窓や入り口が西洋風で当時としては、

とてもモダンだったことでしょう。

ドアから見える

石畳の廊下と洋式の柱がなかなか素敵。





屋敷内の1階では当時、

難病といわれた結核の研究に携わった資料が展示されています。


2階では西洋化された生活スタイルの展示がされてあります。

西洋風人力車が展示されていて

実際に乗ることができるので座ってみました。


明治の頃の日本人は小柄なので

人力車の大きさもSサイズ。

身体の大きな私が乗ると窮屈で壊れそう。


また、灯りの変化を体感するコーナーがあり

ロウソク〜石油ランプまで暗室の中で灯りの様子がわかります。

現代の明るい灯りが慣れた我々にとっては

薄暗く感じます。

石油ランプに至るとそこそこの明るさとなるので

当時はとても明るく感じたことでしょう。


別室では、時計の展示。

日本人独自で造った和時計も展示されています。

社交場として使われていた広い部屋は

意外にも一番、明治時代を感じさせられるものでした。


三重県庁舎」を出て、

お昼も近いので明治村食堂へ昼食をとるために移動します。

食堂のある2丁目エリアはレンガ通りがあります。

山を背に配置された「東山梨郡役所」から

レンガ道がまっすぐ伸びています。


食堂は「東山梨郡役所」の裏手にあるので

レンガ道を歩きながら向かいます。


裏手の地下道をくぐると

昔の倉風の建物が現れました。

食堂のようです。


入り口のポスターに明治時代再現メニューとして

「明治のらふめん」と写真入りで紹介しています。


なかなかおいしそうなので食べてみることに。

食堂内は外観とは違い、いたって普通の食堂。


日本のラーメンの起源は

水戸黄門が中国の「汁そば」を食べたのが始まりと言われています。


庶民に広がったのが

明治時代の横浜あたりからだということで

当時のレシピによると

麺は卵を使わないかん水のみで練り上げた細打ち麺。


スープは化学調味料を使用しない塩味ベースのスープだったそうです。

当時のレシピのままだと

あまり美味しいものではないので

スープに名古屋コーチンの旨味を加えたりして

再現されました。





具材は当時のままに、

錦糸玉子やほうれん草、ぎんなんが入っています。

プラス揚げた鳥団子が2個入り。

さっそく食べてみます。


「ズルズルッズルズルッ」

「ほーっ なかなか美味い」


あっさり懐かしい味で私好みの直細麺がうれしい。

揚げ団子の香ばしい味が良いコクとなっていました。


食堂を離れ、「東山梨郡役所」へ向かいます。





東山梨郡役所」では

竹久夢二画伯の作品などの展示や

アートショップにもなっています。


レンガ道を下っていくと

50‘Sのアメリカ映画に出てきそうな建物の「清水病院」や

旧い日本家屋なのに個性的なデザインの東松屋住宅があります。

松屋住宅の入り口には朋の印ののれんがあり

中に入ると高い吹き抜け。


羽がうち輪になっている扇風機(?)が展示されていました。





松屋住宅を出ると正面に立体写真館の看板。

千早赤阪小学校講堂の建物の中で

立体写真が展示されているらしい。


中に入ると2つののぞき穴がある箱がずらりと並んでいます。

覗いてみるとあら不思議、

セピア色の明治時代の写真が立体的に見えます。

明治時代にも3Dがあったとは!


芸子さんの並んだ写真がなかなか愛らしくてよかったです。

2丁目エリアを楽しんだので

チンチン電車の駅「市電 京都七條駅」まで移動し

チンチン電車に乗って4丁目エリアへ移動します。


つづく