大阪ステーションシティ OPEN記念 大阪今昔物語3

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8階からエスカレーターで7階へ移動。

次の展示場は

うす暗くシックな雰囲気です。「(゚ペ)


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入り口付近にあるのが

「からくり錦絵」という

立体的な紙芝居。(≧ω≦)b


最初は「心斎橋 編」です。

同じ大阪でも

キタとミナミでは風土が違います。

キタ派とミナミ派に別れるくらいです。(≧ω≦)b


キタは今回レポートする大阪駅周辺の

ビジネス街の中心の

大阪色が薄いオシャレ系。(≧ω≦)b


ミナミはくいだおれ人形やグリコの看板など

いかにも大阪!という

庶民的で派手系。(≧ω≦)b


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キタの梅田から

御堂筋を南側へ本町〜心斎橋。

ちょうど、ミナミの入り口のような所で

大阪の流行発信の中心的な所です。(≧ω≦)b


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橋と地名についているように

長堀川に架かっていた橋の名前。

江戸期までは木製の橋から

明治になって

当時としてはめずらしい鉄橋となりました。「(゚ペ)


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しかし、あまり評判の良くない鉄橋は

36年後に石橋に架け替えられました。d(>_・ )


1964年に長堀川が埋め立てられて

長堀通の歩道橋として移築されました。「(゚ペ)


日本画の切り抜きとミニチュアの船などが

紙芝居のようにスライドされます。

解説は大阪弁なので結構面白い。(≧ω≦)b


次は「梅田 編」。

梅田は今回レポートする

大阪ステーションシティ(JR大阪駅)のある所。d(>_・ )

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江戸時代以前は下原と呼ばれる低湿地帯で、

泥土を埋め立てて田畑地を拓いたことから「埋田」と呼ばれ、

後世になって字面が悪いので

梅の字を埋田に当てて「梅田」となったらしい。d(>_・ )


江戸期になっても、

田畑ばかりの何もない村でしかありませんでした。d(>_・ )


明治7年に大阪〜神戸間の鉄道が開通し

大阪駅ができてから

交通の発展とともに現在のような

近代都市となりました。d(>_・ )


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開業から1900年まで、

「梅田すてんしょ」と言われていたそうです。(≧ω≦)b


なんだか落語に出てきそうで面白い。

「からくり錦絵」は結構見入ってしまいました。

暗い部屋にピンポイントにライトがあたる

いくつかの模型があります。*1


「次回 バス住宅って何? の巻」

*1:-_-。)(。-_-